おっさん40歳と一緒に10本ダッシュしないか(夏の日の出とともに。能書きを垂れながら。)

今日は4:45に起床し、日の出を見ながら走ることにしました。

おっさんがかっこつけてるつもりではないです。運動すると気持ちいいから。

運動すると以下に書くような能書きも忘れて、気分が良くなるから。

運動は心を整えてくれますよね。

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かっこつけてると思われるかもしれないと思うことも、自意識過剰ですね。もう40歳なのにいつまで中学生のような気持ちでいることやら。。でも、40歳という年齢だって関係ないのです。身長・体重に個体差があるように、年齢の進み方にも個体差があるにちがいないですよね。

 

みんな一律に小学校に上がることだっておかしいし、思春期も婚期も定年退職も、年齢でひとくくりにすることは馬鹿げていますよね。年齢はあくまで目安であって、関係ない。成長が人より遅かった私としてはとてもいい迷惑だと思っています。

 

メスを獲得する生物の競争で言えば、オスとしては成長が早い方が、一般的には有利なのだと思います。現在の人間社会でも同年代と恋愛をするような仕組みになっているし、やはり成長が早い方が有利なのだと思います。でも、成長が遅いオスにも何かしら生物学的な戦略があって成長が遅くなったとも考えられますよね。

 

似たような例で言えば、睾丸の小さい男は精子をたくさん作れなくて、睾丸の大きい男のように自分の配偶子をばら撒けなくても、何かしら有利な点があって生き残ったのだろうと思います。睾丸の大きい男は性欲も旺盛で、エネルギー値が高く、その分浮気をしやすいと言われていますけど、睾丸の小さい男は浮気をしにくく、一点集中型というか、逆にそれが功を奏して自然淘汰を生き残ってきたのかもしれないですよね。でも、自然淘汰を生き残れたとしても、遺伝子的には同じ分だけ幸せなのかもしれないけど、当の個体、つまりその人間個人の幸せ、脳内物質の総量といういうべきかもしれないけれど、その人の幸せ的にはやはり睾丸が大きく、エネルギー値高く仕事も運動も恋愛もバリバリできる人生の方が、睾丸が小さく細々と子孫を残せるタイプの男よりもずっと幸せ感じるのではないかとも思います。。そう考えると悲しいですね。余談は置いておいて、というか余談のみだけど、2本目、行こう!ダッシュ

 

というか、全然ダッシュになってないですね。ダッシュもできなくなってきました。調子がいい時でも最大8割走くらいで限界というか。腰とか痛くなるし。はい言い訳です。言い訳というかかっこつけですね。本当はもっとできるのにとか、昔はできたのにとか。昨日は12時に寝て4:45起床で睡眠が全然足りてないとか、早朝で体が硬いとか。はい、もうやめます。そういえば、大学生の頃、合コンで、謎の疲れ自慢、寝てないアピールする友人がいました。本当はもっと話せるのに今日は疲れていて会話ができない言い訳だったのでしょうか。

 

というどうでもいいことを話しているのは、ダッシュの間のインターバルのためです。私は気軽に一緒に運動を誘える友人がいなくて、この動画を作ってみました。気軽に誘うとは、事前に約束せずに、当日30分前とかに運動しようと誘うくらいの気軽さです。ということで3本目、行こう!

 

こんな平日の朝早くから、結構たくさん人が運動しているんですよね。お年寄りだけでなく、中年や若い人もいて。今日は仕事休みの人が来ているのでしょうか。そんなに働かなくても、今の社会には実際人間を養う余力があるんですよね。みんな働いた気になっているだけというか。逆を言えば、みんな必要のないモノやサービスを買わされているというか。その仕事が必要だと思いこんでいるというか、逆を言えばモノやサービスが必要だと思いこんでいるというか、考えてもみないというか。仕事って、もともとは、人間の生存に必要な作業だったわけじゃないですか。テレビやYouTube無人島生活でやっているような。狩りだったり、家を作るとかです。現代社会は、世界人口の衣食住を世界人口の約3%の労働量でまかなえるといいます。

 

では、他の人は何やっているのか。生存に不可欠ではないが便利なものを生産していたり、娯楽を作っていたり、或いは必要のない無駄な仕事をしている人も多いですよね。

だから無理して、残業までして働く必要なんてないのです。なのになぜ過労死までして働くのか。その仕事が必要なことだと皆が思い込んでいるからです。

と、能書きはさておき、4本目!

 

なくても困らない仕事でも、その仕事で給料がもらえるから、自分が残業しないと同僚に迷惑がかかるから。無理して働く理由はいっぱいあると思います。でも、本当は、社会全体で、あるいは同僚と一緒に、お互いに首を絞めあっている。互いに苦労を強要しているということに気がついて、全員がそういう働き方をやめなければならないと思うのです。

 

それで仮に社会全体の生産量が落ちても、多分私達の幸せ度は落ちない。店員のサービスが低下しても、多少不便になっても、電車が1分違わずこなくても、幸福度は大して落ちない。サービスはいい加減でも、不便でも、それより、みんながもう少し心にゆとりがあって、寛容で、自分や家族との時間が持てる社会の方が幸せじゃないですか。これも人それぞれの価値観ですけど。黙れ能書きチビが。5本目!

 

経済や景気やお金は、血液の循環に良く例えられますけど、健康のためには、ただ大量の血液を体のどこでも構わないから、とにかく流せばいいってもんじゃないじゃないですか。今の社会は、ドロドロ血液、つまりお金をやみくもに、大量に、流す場所も偏ったまま流しまくっているように思えます。本当の健康に必要なのは、適度な量の血液を、体の必要な場所にバランスよく流す必要がありますよね。お金も同じで、幸せに結びつくような循環で、適度な量を流すべき場所に流す必要があると思うのです。でも、欲望によってお金が使われるものが必要な仕事となる今の資本主義ではそれが難しいですよね。欲望が集まる部分に大量のお金・血液が流れる仕組みですから。

こうすれば良くなるんじゃないかという考えもあるのですが、そんな机上の空論はさておき、6本目!

 

もう走ることに集中した方がいいですね。。くだらない話はやめます。7本目、8本目、9本目!行こう! よっしゃラスト10本目!

お疲れ様でした。