いつか何者かになれると思ってた・・・

いつか何事かを為すために表舞台に躍り出て、

命を賭して働いて、大活躍をして、

コンプレックスも解消され、人にちやほやされ、女にもてて、悦楽を享受して、

自分を肯定できて、いつか満足する人生を送れるんだと思っていた。

 

だから、学生の頃は、俺は今じゃない、今は人生の土台作りと、異性と楽しむクラスメイトを尻目に勉強・運動を頑張ってるつもりになってみたり、

逆に、勉強を頑張るクラスメイトを尻目に、そんなものに自分を賭しても仕方ないと言い訳をして、努力を放棄したりもした。

 

今じゃない、今じゃないと思い続け、

40歳になってしまった。

そんな「今」は一生こないのだろうと、やっと感じ始めた。

でも、まだ心のどこかで、まだ何かあるのではなんて淡い期待を抱いている自分がいる。

 

でも、きっと、ベルトコンベアを流れる大量生産品のように、近くの病院で死に、近くの火葬場で焼かれる。もとい、焼いてもらえる。

 

実際に生きている「今」だけが本当の自分であり、いつかの「今」など来ない。

今を生きるしかない。今を楽しむしかない。今頑張るしかない。今の自分を受け入れるしかない。存在しないいつかの自分に縋って、言い訳をして、今をおろそかにするのはやめよう。俺には今しかない。

 

なんて、耳障り、目障りのいいことを言う今充はキモイし腹が立つ。

 

いつか何者かになれると思ってた。。

 

 

 

 

DaiGo 謝罪は不要。謝罪をさせる社会が異様。不寛容で批判ばかりの社会。

DaiGoさんが謝罪までしましたが、批判された発言内容の是非はともかく、謝罪は不要でしたよね。Daigoさんは個人の意見・感想を言っただけなのに、謝罪まで必要になるほど炎上する社会ってどうかと思います。

【謝罪が不要な理由】

・Daigoさんは個人の意見・感想を言っただけ

・Daigoさんへの批判が、議論ではなくDaigoさんの人格否定も多い

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Daigoさんの影響力を考えろという意見も的はずれです。発言内容について議論が起こり、例えばDaigoさんが間違いを認める というくらいなら健全だと思います。

 

今回の件に限らず、最近、批判ばかりじゃないですか。

・政府批判(例:コロナ対応、五輪)

・有名人の言動批判・ときに人格批判

建設的な批判ならいいですが、ただの憂さ晴らしとか愚痴にしか聞こえないのですよね。

 

批判ばかりの社会は、自由に意見も言えない生きにくい社会、互いの行動を監視する不寛容な社会を作ると思うのです。学校でも職場でも、みんなでお互いの首を絞めあって、生きにくい社会を作っていると思います。

 

おっさん40歳と一緒に10本ダッシュしないか(夏の日の出とともに。能書きを垂れながら。)

今日は4:45に起床し、日の出を見ながら走ることにしました。

おっさんがかっこつけてるつもりではないです。運動すると気持ちいいから。

運動すると以下に書くような能書きも忘れて、気分が良くなるから。

運動は心を整えてくれますよね。

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かっこつけてると思われるかもしれないと思うことも、自意識過剰ですね。もう40歳なのにいつまで中学生のような気持ちでいることやら。。でも、40歳という年齢だって関係ないのです。身長・体重に個体差があるように、年齢の進み方にも個体差があるにちがいないですよね。

 

みんな一律に小学校に上がることだっておかしいし、思春期も婚期も定年退職も、年齢でひとくくりにすることは馬鹿げていますよね。年齢はあくまで目安であって、関係ない。成長が人より遅かった私としてはとてもいい迷惑だと思っています。

 

メスを獲得する生物の競争で言えば、オスとしては成長が早い方が、一般的には有利なのだと思います。現在の人間社会でも同年代と恋愛をするような仕組みになっているし、やはり成長が早い方が有利なのだと思います。でも、成長が遅いオスにも何かしら生物学的な戦略があって成長が遅くなったとも考えられますよね。

 

似たような例で言えば、睾丸の小さい男は精子をたくさん作れなくて、睾丸の大きい男のように自分の配偶子をばら撒けなくても、何かしら有利な点があって生き残ったのだろうと思います。睾丸の大きい男は性欲も旺盛で、エネルギー値が高く、その分浮気をしやすいと言われていますけど、睾丸の小さい男は浮気をしにくく、一点集中型というか、逆にそれが功を奏して自然淘汰を生き残ってきたのかもしれないですよね。でも、自然淘汰を生き残れたとしても、遺伝子的には同じ分だけ幸せなのかもしれないけど、当の個体、つまりその人間個人の幸せ、脳内物質の総量といういうべきかもしれないけれど、その人の幸せ的にはやはり睾丸が大きく、エネルギー値高く仕事も運動も恋愛もバリバリできる人生の方が、睾丸が小さく細々と子孫を残せるタイプの男よりもずっと幸せ感じるのではないかとも思います。。そう考えると悲しいですね。余談は置いておいて、というか余談のみだけど、2本目、行こう!ダッシュ

 

というか、全然ダッシュになってないですね。ダッシュもできなくなってきました。調子がいい時でも最大8割走くらいで限界というか。腰とか痛くなるし。はい言い訳です。言い訳というかかっこつけですね。本当はもっとできるのにとか、昔はできたのにとか。昨日は12時に寝て4:45起床で睡眠が全然足りてないとか、早朝で体が硬いとか。はい、もうやめます。そういえば、大学生の頃、合コンで、謎の疲れ自慢、寝てないアピールする友人がいました。本当はもっと話せるのに今日は疲れていて会話ができない言い訳だったのでしょうか。

 

というどうでもいいことを話しているのは、ダッシュの間のインターバルのためです。私は気軽に一緒に運動を誘える友人がいなくて、この動画を作ってみました。気軽に誘うとは、事前に約束せずに、当日30分前とかに運動しようと誘うくらいの気軽さです。ということで3本目、行こう!

 

こんな平日の朝早くから、結構たくさん人が運動しているんですよね。お年寄りだけでなく、中年や若い人もいて。今日は仕事休みの人が来ているのでしょうか。そんなに働かなくても、今の社会には実際人間を養う余力があるんですよね。みんな働いた気になっているだけというか。逆を言えば、みんな必要のないモノやサービスを買わされているというか。その仕事が必要だと思いこんでいるというか、逆を言えばモノやサービスが必要だと思いこんでいるというか、考えてもみないというか。仕事って、もともとは、人間の生存に必要な作業だったわけじゃないですか。テレビやYouTube無人島生活でやっているような。狩りだったり、家を作るとかです。現代社会は、世界人口の衣食住を世界人口の約3%の労働量でまかなえるといいます。

 

では、他の人は何やっているのか。生存に不可欠ではないが便利なものを生産していたり、娯楽を作っていたり、或いは必要のない無駄な仕事をしている人も多いですよね。

だから無理して、残業までして働く必要なんてないのです。なのになぜ過労死までして働くのか。その仕事が必要なことだと皆が思い込んでいるからです。

と、能書きはさておき、4本目!

 

なくても困らない仕事でも、その仕事で給料がもらえるから、自分が残業しないと同僚に迷惑がかかるから。無理して働く理由はいっぱいあると思います。でも、本当は、社会全体で、あるいは同僚と一緒に、お互いに首を絞めあっている。互いに苦労を強要しているということに気がついて、全員がそういう働き方をやめなければならないと思うのです。

 

それで仮に社会全体の生産量が落ちても、多分私達の幸せ度は落ちない。店員のサービスが低下しても、多少不便になっても、電車が1分違わずこなくても、幸福度は大して落ちない。サービスはいい加減でも、不便でも、それより、みんながもう少し心にゆとりがあって、寛容で、自分や家族との時間が持てる社会の方が幸せじゃないですか。これも人それぞれの価値観ですけど。黙れ能書きチビが。5本目!

 

経済や景気やお金は、血液の循環に良く例えられますけど、健康のためには、ただ大量の血液を体のどこでも構わないから、とにかく流せばいいってもんじゃないじゃないですか。今の社会は、ドロドロ血液、つまりお金をやみくもに、大量に、流す場所も偏ったまま流しまくっているように思えます。本当の健康に必要なのは、適度な量の血液を、体の必要な場所にバランスよく流す必要がありますよね。お金も同じで、幸せに結びつくような循環で、適度な量を流すべき場所に流す必要があると思うのです。でも、欲望によってお金が使われるものが必要な仕事となる今の資本主義ではそれが難しいですよね。欲望が集まる部分に大量のお金・血液が流れる仕組みですから。

こうすれば良くなるんじゃないかという考えもあるのですが、そんな机上の空論はさておき、6本目!

 

もう走ることに集中した方がいいですね。。くだらない話はやめます。7本目、8本目、9本目!行こう! よっしゃラスト10本目!

お疲れ様でした。

 

 

 

敬語使うのやめないか。序列や壁を無意識に作るし、生産性も落とすから。

かねてから思っていた。敬語は他者への敬意を表す美しい文化だと思う一方、デメリットも大きいと。

以下の理由から敬語を使うのをやめることを提案したい。

① 敬語が序列付けやマウントの取り合いに無意識に使われている。

② 敬語は人と人の間に壁を作り、区別・差別を生む。

③ 敬語は生産性を落とす。

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以下は理由の詳細。

① 敬語による序列付け、マウントの取り合い

 ・この人には敬語を使うべきか否か、無意識にでも頭の中で、序列付けを行う。

 ・意識的なマウントの取り合いも散見される。

 ・意味があるのか怪しい敬語による序列付け

  例:学年が一つ異なるだけで敬語

    組織に入った順序、年齢

 

なお、これに対処するため様々な戦略が生まれる

  ・戦略的タメ口(ふわちゃん、宇多田ヒカル

   →敢えて敬語は使わないという戦略。

    序列付けゲームから降りるという選択にもなりうるが、批判もされる。

  ・舐められないためのタメ口(昔のダウンタウン、ヒロミ)

   →敬語による序列付けゲーム・マウントの取り合いを積極的にこなす。

  ・とにかく誰にでも敬語

   →戦略的タメ口と反対の戦略。序列付から降りることができるが、

    馬鹿にマウントを取られる原因にもなりうる。

  ⇒ほとんどの人は上記を時と場合によって使い分けている。めんどくさい。。

 

閑話休題

② 敬語による壁や、区別の形成

  ・敬語は相手との距離を作る。

   →敬語を使わない同期などの方が仲良くなれるという経験はないか。

  ・敬語は、区別付を行う。時に差別にもつながる。

   →人間はグループ分け、区別付、差別を好む動物。

    日本のような民族多様性の乏しかった国では、敬語によって区別を積極的に行った可能性がある。

 

③ 敬語は生産性を落とす。

  ・敬語使用で、仕事のスピードが落ちる。

   →敬語を使うべきか否か、どういう表現をすべきか、

    相手のランクはなどと考えて、脳のリソースや時間を奪われている。

  ・人との距離を作り、単刀直入な表現・提案・交渉がしにくくなっている。

   →日本人の回りくどい言い方など。

 

まとめ

・敬語の美点はわかる。相手を敬うことは素晴らしい。ただ、相手を敬うという本来の用途よりも、デメリットの方が大きくなっている。いっそ敬語を皆で使うのやめた方が、皆が幸せになれると思う。